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「東京学派」ワークショップ包摂と排除:東京(帝国)大学の近代学知

日時: 2020年7月18日(土)8:45~18:30
会場: オンライン(Zoom)
発表者: 鍾以江(東京大学)
磯前順一(国際日本文化研究センター)
平野克弥(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
上村静(尚絅学院大学)
小田龍哉(同志社大学)
吉田一彦(名古屋市立大学)
川村覚文(関東学院大学)
関口寛(四国大学)
片岡耕平(北海花園大学)
中島隆博(東京大学)
コメント: 内田力(東京大学)
藤本憲正(国際日本文化研究センター)
ゴウランガ・チヤラン・プラダン(国際日本文化研究センター)
松方冬子(東京大学)
大村一真(同志社大学)
舟橋健太(龍谷大学)
鍾以江(東京大学)
使用言語: 日本語・英語
Tokyo_school_20200718
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趣旨:

西洋から移入された近代専門知は、日本において再編されながら組織化され、国民国家の構築と近代社会の形成に寄与していた。この中、大学、特に研究を中心的仕事とした国立大学は非常に重要な役割を果たしたことは言うまでもない。その役割とレガシィが十分検討し評価できていると言えない。このワークショップは、フーコーの近代的統治性の分析を出発点としながら、東京(帝国)大学における近代的専門知に注目し、人文と社会科学の諸分野を跨る四つの基本概念およびその言説(宗教、人種、歴史、公共)による、近代知の包摂と排除の仕組みの変遷と近代的統治性の関係を考察する。

プログラム:
8:45-9:00 総論 鍾以江(東京大学)
9:00-9:55 導入報告
「ポジションナリティをめぐって 学問と差別」
磯前順一(国際日本文化研究センター)
9:55-10:00 休憩

10:00-11:00 パネル1
Sovereignty, Social Darwinism, and Colonial Empire: On Kato Hiroyuki's "New Theory of Human Rights"
平野克弥(UCLA)
コメント:内田力(東京大学)

11:00-12:00 パネル2
Anti-Judaism in Modern Biblical Studies and the Difficulty in Discussing "Impurity" and "Discrimination" in Ancient Judaism
上村静(尚絅学院大学)
コメント:藤本憲正(国際日本文化研究センター)

12:00-12:50 ランチ

12:50-13:50 パネル3
「柳田國男と南方熊楠、タブー論をめぐって」
小田龍哉(同志社大学)
コメント:ゴウランガ・チヤラン・プラダン(国際日本文化研究センター)

13:50-14:50 パネル4
「坂本太郎による「日本古代史」の創出――『日本書紀』・天皇制度・「律令国家論」――」
吉田一彦(名古屋市立大学)
コメント:松方冬子(東京大学)

14:50-15:00 休憩

15:00-16:00 パネル5
Politics and Technology: A Consideration of the Tokyo School
川村覚文(関東学院大学)
コメント:大村一真(同志社大学)

16:00-17:00 パネル6
「20世紀初頭のアカデミズムと統治の眼差し――鳥居龍蔵と喜田貞吉の被差別部落民研究から――」
関口寛(四国大学)
コメント:舟橋健太(龍谷大学)

17:00-18:00 パネル7
「網野善彦の差別論について」
片岡耕平(北海花園大学)
コメント:鍾以江(東京大学)

18:00-18:30 総括(「東京学派」研究の角度から) 中島隆博(東京大学)


アブストラクト:
1)
Sovereignty, Social Darwinism, and Colonial Empire: On Kato Hiroyuki's "New Theory of Human Rights"
HIRANO Katsuya 平野克弥 (UCLA)

The talk will take a close look at Kato Hiroyuki's "New Theory of Human Rights" as a thesis that provided an ideological rationale for Japanese colonial projects. Central to this exegesis is an examination of the ways in which Kato presented the concepts of sovereignty, evolutionism, and colonial domination as the axes of history-as-movement. Instead of taking Kato as a net importer of western – mostly German – thought, the talk will examine Kato as a thinker who offered the Meiji State an ideological doctrine of his own.


2)
Anti-Judaism in Modern Biblical Studies and the Difficulty in Discussing "Impurity" and "Discrimination" in Ancient Judaism
UEMURA Shizuka 上村静 (Shokei Gakuin University)

The Old Testament, which is called Tanakh, Miqra or Hebrew Bible by Jews and the one and only Bible for Jews, is a part of the Christian Bible. The term "Old," contrasted to the "New," connotes "invalid" and "finished." The Christian Church, therefore, has regarded Judaism as invalid and finished from the late first century CE on; a view which has legitimatized Christian anti-Judaism. Modern biblical studies, which have led mainly by the Western Protestant scholars, have renewed the anti-Judaism by their historico-critical, and so objective-like, researches.

The modern Old Testament studies have begun with the notion that the Prophets were earlier than the Pentateuch (the five Books of Moses, the Mosaic Laws or the Torah, the Holiest Scriptures for the Jews). This "academic" result has recreated a Christian theology that the Prophets represented the true religion which, distorted by the Jews into the legalistic religion, was succeeded by the Christianity; so Judaism must have been superseded by the Christianity (supersessionism or the Replacement Theology). In German of the 19th century and the first half of the 20th century the post-biblical Judaism (c. 200 BCE-100 CE) in which the Christian movements emerged was called "Spätjudentum," the late Judaism; a religion which should have been soon finished.

After the World War II when the tragedy of Holocaust was known to the Westerns, Christian scholars have become aware that their theology was a root of the anti-Semitism of the West. They have criticized the supersessionism and come to avoid issues which might involve anti-Semitism and anti-Judaism. Nevertheless, the Old Testament Scholars still tend to research the older, i.e., truer Prophetic, traditions and less the final and present, i.e., Jewish form of the Pentateuch; and the New Testament scholars favor describing conflicts between Jesus and his contemporary Jews, or those between St. Paul and his contemporary Judaism. In the biblical studies there still remains, unconsciously, the anti-Judaism symbolized by the term "Old Testament."

3)
「柳田國男と南方熊楠、タブー論をめぐって」
小田龍哉(同志社大学)

柳田と南方の出会いと訣別は、日本民俗学の誕生を語るさい、きまって引き合いに出されるエピソードである。前者は東京帝大法科大学政治科卒、後者は東大予備門中退、と濃淡はあるものの、いずれも東京大学にゆかりがある。本報告では、彼らの海外経験などを踏まえて両者の学問を比較検討し、タブー論の観点から、近代日本社会における包摂と排除のありようとその変貌について考察する。柳田と南方はともに、死者との関係性を生者の主体化の根拠として重視していたが、前者においてはそれが共同体論として、後者においては個体の倫理として立ちあらわれたのではないか、というのが報告者の見立てである。

4)
Politics and Technology: A Consideration of the Tokyo School
KAWAMURA Satofumi 川村覚文 (Kanto Gakuin University)

For Michel Foucault’s speculation on power, technology is always one of the key issues. He thematises the relationship between subject, power, and technology, and his renowned concept governmentality (gouvernementalité) and biopolitics (biopolitique) is precisely aimed at elucidating how this relationship have worked in the field of politics. In this talk, I shall look at the discussion by the Japanese political theorists Maruyama Masao and Royama Masamichi, and would like to elucidate what was the locus of technology in their speculations on politics. Through this examination, I would like to consider the implication of their discussions to today’s governmentality or biopolitics facilitated by the pandemic of Covid-19.

5)
「20世紀初頭のアカデミズムと統治の眼差し――鳥居龍蔵と喜田貞吉の被差別部落民研究から――」
関口寛(四国大学)

19世紀末から20世紀前半にかけて、日本のアカデミズムでは被差別部落への関心が生まれ、様々な専門分野で研究が開始された。かかる学問的実践はときに帝国日本の植民地や国内の統治とも踵を接しつつ、専門分野やディシプリンの垣根を越えた多様な〈知〉と連鎖しながら展開した。かかる事例としてここでは日本における草創期の人類学者で被差別部落民の起源を人種論的に考察した鳥居龍蔵と、歴史学の立場から部落問題を論じた喜田貞吉の研究をとりあげる。これらアカデミックな活動が地政学や科学技術など異分野の専門知と結びつきながら展開したことを明らかにし、また統治の複合体のなかで学問的実践が果たした機能についても考察したい。

6)
「網野善彦の差別論について」
片岡耕平(北海花園大学)

歴史学の文脈で、包摂と排除を統治と絡めて論じようとする時、網野善彦の差別論は、その格好の一例になるはずである。統治者としての天皇が日本社会に存在し続けている秘訣を明らかにすることは、彼が果敢に独自の歴史観を打ち出す動機の1つであり続けた。そして、中世の「非人」・「河原者(穢多)」は、非農業世界に視点を定めたその歴史観に不可欠な存在であった。本報告は、とりわけ1970年代以降盛んになった日本中世の被差別民をめぐる議論の中で、網野の差別論が占めた位置を明らかにすることを目的とする。日本中世史研究において包摂と排除が、どのように論じられてきたのかを浮き彫りにできればと考えている。

7)
「坂本太郎による「日本古代史」の創出――『日本書紀』・天皇制度・「律令国家論」――」
吉田一彦(名古屋市立大学)
1.

「王政復古」を看板に掲げ、「国体」を国家の理念に置いた明治・大正・昭和前期の国家にとって、「国史学」は国家の思想の基底部を支える重要な学問だった。明治22年(1989)帝国大学文科大学に国史学科が設置された。帝国大学(のち東京帝国大学)国史学科で活躍した教授たちは、国家のイデオロギーに連関する研究・教育を、あるいは信念に基づきながら、あるいは周囲に注意をはらいながら精力的に実践した。

中でも重要な役割をはたした教授として、重野安繹、久米邦武、三上参次、黒板勝美、平泉澄、坂本太郎の名をあげることができる。いずれも重要な国史学者であり、「東京の学知」を文系の分野に着目して分析する際に中核的な考察対象になる学者だと考える。彼らは東京帝国大学の文系の学知を代表する教授であり、学問的な真理を追求するとともに、国家の歴史思想を支える役割をはたしていった。今回取り上げる坂本太郎は、戦前から戦中、戦後という波乱の時代を生き抜いた人物で、敗戦後はひとり日本史学界の中心に立ち、戦前の歴史認識を脱構築して、戦後における歴史認識の骨格を作り上げるのに中心的な役割を果たした最重要歴史学者である。

2.

坂本太郎(1901~1987)の業績でとりわけ重要なのは、A「日本古代史」の枠組の定立、B歴史教育の教科書の再構築、の2点である。坂本は、「日本古代史」は「律令国家(律令制)」を中心に理解すべきであり、それ以前はその準備過程、以後はその変質・崩壊過程として理解できるとした。こうして、①聖徳太子の新政から、②大化の改新を経て、③律令国家(律令制)の成立を説き、律令の諸制度を中心に古代国家を説明して、以後を④律令国家(律令制)の崩壊過程、と理解する日本古代史が成立した。この見解は、〈坂本パラダイム〉とでも呼ぶべき枠組を構成し、以後の研究の方向性を規定した。坂本の理解は、戦後、歴史教育を通じて広く流布し、国民的歴史常識になっていった。

坂本説は大変明解でわかりやすい学説で、各方面に大きな影響を与えた。たとえば、石母田正のようなマルクス主義歴史学者も、古代史に関する理解の大枠は坂本パラダイムの中にあり、坂本説をマルクス主義理論を援用して読み替えたという性格がある。また、坂本は優秀な教え子に恵まれ、彼らを次々に大学教員として一本立ちさせていった。井上光貞、青木和夫、関晃、彌永貞三、土田直鎮、虎俊哉、黛弘道、笹山晴生、早川庄八、吉田孝などである。彼らは「律令国家論」を深化させ、パラダイムの細部を精緻化させていった。

なお、坂本以前には、東京帝国大学にも、京都帝国大学にも、いわゆる「日本古代史」を専門分野とする国史学の教授はおらず、「日本古代史」は坂本によってはじめて「律令制(律令国家)」という理解で定立されたととらえることができる。坂本が学生の頃、「日本上代史」の講義は黒板勝美が担当した。だが、黒板の専門は必ずしも上代史ではなく、またその頃は時代史ごとに専門分化することが進展していなかった。その後、時代史ごとの専門分化が進展し、その動向の中で坂本は「日本古代史」を確立していった。このことは日本の史学史を考える際のポイントの一つになると私は考える。邪馬台国の時代(3世紀)でもなく、雄略天皇の時代(5世紀)でもなく、奈良時代(8世紀)を「古代史」としたところに坂本の学説の特色がある。

しかしながら、今日の研究水準すると、〈坂本パラダイム〉には多くの疑問点があり、そのままでは成り立ちがたい状況になっている。すでに①②④については種々の批判が唱えられている。平安時代は独自の国家体制を持つ国家であって律令国家の崩壊過程と位置付けるべきではない、「大化改新」は『日本書紀』の記述のように行なわれたわけではなかった、聖徳太子の行実について『日本書紀』の記述のように理解することはできない、聖徳太子は神武天皇、神功皇后、ヤマトタケルノミコト、武内宿禰などと同様の『日本書紀』の創作上の人物の一人である、などなど。そして、今日、坂本パラダイムの本丸というべき③に対しても批判が進展しつつある。私は、〈坂本パラダイム〉を克服して新しい古代史像、あるいは7、8、9世紀像を提示することが現在の古代史研究に与えられた最大の課題であると考えている。

3.

坂本の業績でもう一つ重要なのが、B歴史教育の教科書の再構築である。ただ、この側面については詳細未解明の部分が多く、秘密のベールに覆われていて、今後の重要な研究課題になっている。敗戦後、東京帝国大学の国史学科は、教官の定年退官と依願退官、公職追放が重なって、坂本助教授たった一人が在籍する状態になってしまった。坂本は国史学科の再建に尽力し、学生たちに授業を提供し、非常勤講師、専任教官の人事を次々に行なっていった。もちろん、日本古代史の講義、ゼミは自ら担当した。戦前に国家主義的傾向を持つ論考を発表していた坂本がなぜ公職追放されなかったのかについては不明の部分があるが、平泉澄とは異なる実証主義歴史学者とみなされたこと、教授ではなく助教授だったことなどによるのかと憶測している。

戦後の歴史学界の大きな問題の一つに、初等中等教育における歴史教育をどうするかがあった。戦前までの歴史教育はGHQによって否定され、教科書は暫定的に墨塗り教科書が用いられた。戦前まで、歴史の教科書の古い時代の部分は、『日本書紀』の要約・現代語訳が教えられていた。アマテラスからはじまり、神武天皇以来の歴代天皇の治世を教える歴史教育である。戦後は、その部分は教科書から削除になり、代わって先土器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代といった考古学の研究成果が教えられるようになった。だが、『日本書紀』全三十巻がすべて捨てられたわけではなく、うしろの方の三分の一ほどが残された。それは主に聖徳太子の新政からあとの部分であった。こうして、考古学の成果を教えて、その後聖徳太子の新政から「古代史」を教えるという歴史教科書が成立した。坂本は、自伝で文部省から歴史教育の再構築を依頼されたことについては明記しているが、その詳細については何も記していない。

4.

「律令国家論」とは何だろうか。それは、一つは、日本に西洋古代のローマ帝国と同じような整備された古代国家が存在したと論じる概念装置として提示された。坂本は、日本の古代国家は「法治国家」の成立という観点から理解されると論じ、「律令国家」の歴史的意義を説いている。もう一つは、日本における天皇制度の成立を明確化することはせず、代わりに天皇制度は確定できない古い時代からあったが、それが7世紀後期に「律令国家」という形で新段階をむかえ、新しい国家体制が成立、発展したと説くところに大きな意味があったと私は考えている。

大正9年(1920)、津田左右吉は「天皇考」を発表して、「天皇」の歴史を学問的に明らかにする作業を試み、「天皇」なる語が中国の古典に見える語であることを明らかにするとともに、日本の「天皇」号は推古天皇から開始されたと論じた。津田は一方で記紀の史料批判を精力的に展開した。福山敏男も、日本の「天皇」号の成立について考証し、法隆寺の金石文の史料批判を行なった。坂本は日本の「天皇」号の成立について何ほどかの知見を持っていたと推測されるが、そうした文脈から議論をするのではなく、「律令国家」の成立という形で議論の枠組を設定した。そして、これによって天皇制度の成立過程、天皇制度の特質、その歴史的意義などを考究するような思考枠組を疎外したと私は考えている。しかしながら、今日の学問水準からするなら、7世紀末期の持統朝もしくはその一代前の天武朝の途中に天皇制度が開始されたことははっきりしており、7世紀後期~8世紀初頭の日本をめぐっては、天皇制度の成立過程という観点から再考していく必要がある。また、『日本書紀』については、全三十巻の史料批判と相対化が必要で、ある特定の巻以降を歴史的事実を伝えると肯定することは難しいと考える。

坂本は戦後の日本古代史研究をリードした学者であった。彼の個別研究論文は、論理明晰、文章平明で、説得力を持つ。社会的には時代の転換期に生まれ合わせ、戦後の国史学界を支え、東京大学教授、東京大学史料編纂所所長、史学会理事長、日本歴史学会会長、日本学士院会員、国学院大学教授などを歴任し、晩年は文化功労者を経て、文化勲章を受章した。その存在感は巨大である。著書は坂本太郎著作集全12巻(吉川弘文館、1988~89年)にまとめられている。

[参考文献]
坂本太郎『日本全史 第二巻〈古代Ⅰ〉』東京大学出版会、1960年
坂本太郎『古代史の道――考証史学六十年』読売新聞社、1980年
石母田正『日本の古代国家』岩波書店、1971年
津田左右吉「天皇考」1920年、『津田左右吉全集』三、岩波書店 1963年
福山敏男「法隆寺の金石文に関する二三の問題」『夢殿』13、1935年
吉田一彦『民衆の古代史』風媒社、2006年
吉田一彦「古代国家論の展望」『歴史評論』693、2008年
吉田一彦『『日本書紀』の呪縛』集英社新書、2016年
関根淳「日本古代国家論の研究潮流」『歴史評論』842、2020年




当日の様子

主催: 科研費基盤研究(B)「東京学派の研究」
共催: 日文研共同研究会「差別から見た日本宗教史再考」
共催: 東京大学国際総合日本学ネットワーク(GJS)
共催: 東京大学東洋文化研究所(IASA)
問い合わせ: gjs[at]ioc.u-tokyo.ac.jp