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第32回GJSセミナー第二次大戦後の日本におけるアニメーション製作の国産化過程とその要因

日時: 2017年2月13日(月)16:00~17:00
会場: 東京大学東洋文化研究所 第二会議室(3階)
発表者: 木村智哉(明治学院大学 非常勤講師)
使用言語: 英語(※質疑は日本語も可)
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発表概要: 本発表では第二次大戦後の日本におけるアニメーション産業の、史的展開を取り上げたい。この時代に日本のアニメーション産業は、本格的な産業化への歩みを始める。
 東映動画株式会社は1956年に設立された。このスタジオは東映株式会社の子会社であり、東映社長であった大川博が、同社の社長にも就任した。大川はアニメーションスタジオの設立動機を、以下のように説明している。第一には、教育映画市場における短編映画の需要である。また第二には、から求められるCM映像の需要である。そして最後に、日本映画の輸出である。
当時、映画産業のみならず政官界においても、外貨獲得のために日本映画の輸出に期待が寄せられていた。それが戦後の経済復興にとって重要だったからである。とはいえ、大川の構想には未だ、テレビシリーズのアニメーションに関する構想が無いことには留意したい。
その一方で、日本のテレビ局は、放送用のフィルムを多量に必要としていた。まず彼らは、アメリカ製のテレビ映画やアニメーションを購入した。これは日本の映画産業がテレビを敵視していたためである。このため多くの場合テレビ局は、国産の映画フィルムを購入することができなかった。
当時実施されていた外国為替予算制度は、フィルムの輸入量増加を抑制する役割を果たしていた。しかし、この制度の規制緩和のため、各テレビ局間の競争は激化した。そこで彼らは、国産アニメーションの製作を行うようになった。 このように、戦後日本のアニメーション産業の進展と、戦後の経済復興との間には深い関わりがあると言える。
(公開:どなたでもご参加できます)

主催:東京大学国際総合日本学ネットワーク(GJS)
共催:東京大学東洋文化研究所(ISAS)
問い合わせ:gjs[at]ioc.u-tokyo.ac.jp