第19回GJS講演会を開催しました
タイトル: | 追いついた近代・消えた近代:二つの学問共同体の狭間で考えていること |
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講演者: | 苅谷剛彦(オックスフォード大学教授) |
日時: | 2017年3月27日(月), 13:00~16:00 |
会場: | 東京大学東洋文化研究所 大会議室(3階) |
使用言語: | 日本語 |
GJS講演会の報告
2017年3月27日、苅谷剛彦教授(オックスフォード大学)によるGJS特別講演会「追いついた近代・消えた近代:二つの学問共同体の狭間で考えていること」が開催された。 この講演会はもともと、GJSの来年度以降の新しい試みへの第一歩として企画されたものである。この試みとは、東文研でGJSに長らく関わってきた中島教授から発案されたもので、「東京における学問の運動」の歴史化=「東京学派」の(再)発見をテーマとして掲げている。
苅谷教授による講演は、こうしたテーマに密接に関わる、記念すべきものとなった。 最初に、園田茂人教授(情報学環&東文研教授)から、GJSの使命および今回の講演会の開催主旨について説明があった。 苅谷教授の講演では、東京大学とオックスフォード大学のそれぞれにおいて長らく研究、教育を行ってきた苅谷教授自身の経験をもとに、二つの学問共同体(日本の社会科学と海外の日本研究)の狭間に立ったときはじめて見えてくるさまざまな課題(あるいは「悩み」)と、そこから生まれ出る新たな可能性が、大きな主題となった。 前者は、たとえば日本社会の自己像をいかに切り出し、日本の外でも通用する(適用可能な)概念へと彫琢するか、と同時に、外来の理論との緊張関係をもいかに保つか、といった問題である。 これらの難問に対し、苅谷教授自身が「もがきながら」手繰り寄せつつある新たな可能性が、後半の主題であった。 その鍵となるのが、戦後日本で展開された「追いついた近代」言説史と、「消えた近代」という概念である。 すなわち1980年代において、日本は近代化を達成し「追いつく」べき目標がなくなった、という言説が盛んに流布するが、こうした言説のベースには近代(化)=西洋(化)という理解があり、「その後」を語る言葉として「現代」がもてはやされ、そのなかで「近代」はどこかへ消えていった。 こうした日本の経験からなんらかの理論的貢献が可能なのではないか、と苅谷教授は述べる。 具体的には、日本における上記のような移行の過程において埋め込まれた、西欧中心主義的な社会科学の影響の解明を通して、西欧中心主義の問題点や限界を示し、日本という近代性のreflexivityに、いかに西欧的な価値が、西欧とは似て非なる自己像を映し出す鏡として取り込まれるのかを検証していくことにとって、日本の外においても有用な理論への手がかりを見出すことができるのではないか、ということである。
講演に続いて、小野塚知二教授(東京大学大学院経済学研究科教授)は外国史および経済学の立場から、また中島隆博教授(東文研教授)は中国学および哲学の立場から、日本と海外の学問共同体のあいだ、そして「近代」について、さまざまなコメントが出された。 またフロアからも質問があり、まことに活発な議論がかわされた。
当日は初春には似つかわしくない寒さと雨天のなかでの開催となったにもかかわらず、50名を超える超満員の来場者があり、この問題への関心の高さが痛感された。 今後も継続してこのような講演会を企画していきたい。
当日の様子