2020.06.01

Robo Sapiens Japanicus: Robots, Gender, Family, and the Japanese Nation by Jennifer Robertson, Berkeley, CA: University of California Press, 2017, ix + 260 pp., ISBN: 9780520283206.

執筆者:内田 力(GJS特任研究員)

Robo Sapiens Japanicus

今回の書籍は、Jennifer Robertson(ミシガン大学名誉教授)のRobo Sapiens Japanicusです。
Robertson, Jennifer. Robo Sapiens Japanicus: Robots, Gender, Family, and the Japanese Nation. Berkeley, CA: University of California Press, 2017, ix + 260 pp., ISBN: 9780520283206.
Table of Contents
List of Illustrations
Acknowledgments
Author’s Notes
1. Robot Visions
2. Innovation as Renovation
3. Families of Future Past
4. Embodiment and Gender
5. Robot Rights vs. Human Rights
6. Cyborg-Ableism beyond the Uncanny (Valley)
7. Robot Reality Check
Notes
Bibliography
Index

日本はSoftBankのPepperやHONDAのASIMOなど、人間型ロボット(humanoid robot)の開発が先進的な国である。筆者のジェニファー・ロバートソン氏は、人間型ロボットが社会問題を浮かび上がらせるレトリックになっていることに注目して、2007年から日本でフィールドワークを重ねてきたという。

第1章で日本における人間型ロボットの開発状況や歴史を概観したあと、第2章では人間型ロボットがさまざまな社会問題を解決するというビジョンの登場を論じる。その際に分析対象とされるのは、第一次安倍政権で策定された長期戦略「イノベーション25」やそのエッセンスをマンガ化した作品『2025年 伊野辺(イノベ)家の1日』である。第3章では、政策マンガの原型として、長谷川町子(『サザエさん』の作者)も参加した戦時下の連作マンガ「翼賛一家」を紹介する。そのうえで第4章では、人間型ロボットの存在を性・ジェンダーの観点から分析して、「イノベーション25」戦略をふくめて人間型ロボットの開発・用途が性差別的な役割分業を前提としていることを示す。人工知能学会の学会誌『人工知能』の表紙に女性差別的なイラストが採用された問題もこの章で紹介されている。第5章はロボットの人権(Robot rights)に注目して、日本ではロボットの存在が血統主義的な民族同質性やそれにもとづく家父長的家族を支えるように導入されていると論じる。第6章では日本の状況―たとえばパラリンピック選手や「不気味の谷」理論―を例にとって、障害者をサイボーグにする手段として各種の動作補助器具の開発が推進されるという、いわば「サイボーグ障害者差別(cyborg-ableism)」の出現を指摘して、それは五体満足を理想化しているとして批判する。最後の第7章は結論として、ロボットがもたらす未来でなく、ロボット葬やAIBO供養を紹介しながら、人間とロボットの共存の現在に目を向ける。

本書のうち、第4章と第5章は既発表論文の改稿とのことであり、それだけに論旨が練られていて読み応えがある。本書は第5章で、地方自治体がロボットに対して戸籍を交付したというニュースをとりあげて、つぎのように論じる。ロボット開発者が擬制的に「父」となることで、ロボットは血統主義をとる日本の戸籍に包摂され、日本人としての戸籍・住民票が与えられている、その意味で在日外国人が日本国籍を獲得するプロセスとは大きな違いがある、と。このように、ロボットの存在に注目することで、人間社会での問題点を鮮やかに映し出すことに随所で成功している。

にもかかわらず、わたしは日本で活動する研究者に対して、本書を手放しで勧めることはできない。まず技術的な問題として、本書(とくに第1~3章)には単純な事実誤認が多くふくまれている。大学出版社から刊行された研究書として事実関係の検討が甘いといわざるをえない。第1章では、かつて有名になったブログ記事「保育園落ちた日本死ね」を全訳紹介しているが(25頁)、原文の「児童手当20万にしろよ」を「2,000,000 yen」と誤って記載している。さらにこの「児童手当」への注では「2010年現在、児童手当は26000円である」と書くが(197頁)、児童手当(子ども手当)が月額26000円になったことはない。その他日本語のローマ字表記にも誤りが多く(37頁13行目の「Jiseidai no tō(次世代の党)」や81頁26行目の「Kasai Hakase(火星博士)」)、「劇画」や「型」といった日本語の理解にも首をかしげたくなる記述がある(37・59頁では「劇画gekiga」をストーリーマンガの意味で紹介し、89頁では宝塚歌劇団の演者は「型kata」の習得をとおしてジェンダー的な所作を身につけると書く)。

技術的な問題点をつづけると、本書は論拠をあまりにホームページの記述に頼っているわりに、その引用のしかたが非常に雑である点も注意を要する。たとえば2頁の鉄腕アトムの挿絵には引用元として奇妙なURLが付記されているが、これはいわゆる「まとめサイト」のURLが文字化けしたものであり、オリジナルな図像であるかが疑わしい。同様に、雑誌『人工知能』の書影を個人Twitterからの引用で済ませた箇所もある。さらにいえば、巻末の文献リストで書籍とホームページを混ぜて記載するのは、両者の特質の差に無頓着である(文献リストのHの項にhttp://やhttps://で始まるURLが列挙されている)。とくにWikipediaの記事の引用は注意深くおこなってほしかった(たとえば「Kaigo. 2016. https://ja.wikipedia.org/wiki/介護.」が文献リストのKの項(233頁)に含まれており、これにアクセス日時の記載はない。)

最後に、日本社会を観察する視座にも判然としない箇所が多い。本書の後半(とくに第5・6章)では日本国外での状況にも言及があるのだが、全体をつうじて、ロボットをめぐる事象や言説がどの程度日本社会特有のものなのかについて分析が読みたかった。本書ではしばしば日本社会に「Euro-American societies」が対置されるが、日本社会の外に欧米社会があるという二項対立的な見かたはあまりにナイーブであろう。日本政治に関する記述をみても、あたかも時の首相の意思や個人的体験にしたがって国家の政策が立案されているかのような記述があり、基本的にボトムアップで動く日本政治の特質を根本的に誤解しているようである(そもそも第一次安倍政権と第二次安倍政権をイデオロギー的に同質のものとみてよいかについては議論の余地がある)。

そのなかにあって第2章は、本筋のロボットと関連の薄い章とはいえ、戦時下の連作マンガ「翼賛一家」をとりあげて、政策プロパガンダと家庭ものマンガの関係というメディア史にとって重要な問題を提起している。本書の翌年に大塚英志氏(国際日本文化研究センター教授)が官製メディアミックスという観点から「翼賛一家」をより詳細・精密に論じているので参照されたい。大塚英志『大政翼賛会のメディアミックス:「翼賛一家」と参加するファシズム』平凡社、2018年。

文化人類学者である著者にとって、本書の焦点は人間型ロボットとそれをとりまく人間社会の関係である。その点に集中して読めばその手法も各章の論点も有益で刺激的な本である。


出版社HP:https://www.ucpress.edu/book/9780520283206/robo-sapiens-japanicus