五百旗頭薫教授(法学部・法学政治学研究科)へのインタビュー
鍾 以江(東洋文化研究所)
今日は主に三つの質問をさせていただきたいと思います。まず先生のご専門を紹介していただいて、ご専門から見て東大にある広い意味での日本に関する研究の特徴をお話しいただけたらと思います。
専門は日本政治外交史です。主に明治時代の外交と内政を研究しています。最初の本は、日本でどういうふうにして政権交代可能な野党が形成されたかということを、明治時代と大正時代について研究しました。次に、幕末に日本が結んだいわゆる不平等条約をどう改正したかという条約改正史について、2冊目の本を書きました。
それ以外にも興味を持っているものは幾つかあります。今、最も重要なプロジェクトは日独関係史です。欧米にある日本関係の史料は史料編纂所が大量に集めてくれましたが、ドイツの史料はまだ十分に集められていません。一部が東ドイツにあったということもありますが、冷戦後の所蔵の変遷を追うだけで大変だったという事情もあります。それを今スキャンして日本で公開するというプロジェクトを行っています。
あとは、日本の村の集落の歴史にも興味があります。現在、利益政治が日本で機能しなくなっているので、補助金を要求する主体としてではなくて、そこに生活している実態としての集落を、政治史としてどうとらえることができるかということです。そういう社会の実態と政治を媒介するものとして、知識人の役割にも興味がありまして、福地桜痴であるとか、あとは吉野作造についても研究しています。
国際的な分脈での日本研究というご質問については、吉野作造の研究は私にとってはとてもいいきっかけになりました。吉野は大正デモクラシーのリーダーですが、デモクラシーを支える要素が複数あることを知っている人でした。その複数の要素を機能させるために、複数のタイプの議論が必要であることを知っていました。
その議論のもとになり、議論に力を与える人類の経験はやはり政治史、特に近い過去の政治史だと思います。恐らく吉野もそう考えていまして、そこで日本ということのアドバンテージを最大限利用した人だと思います。ヨーロッパの先進国の研究もするし、中国やメキシコやロシアといったもっと難しい状態にある国々のことも研究して、その間にあるといってもいい日本のことも研究し、大きくいって三つの種類の全く異なる社会の研究をした。そこから違う教訓をくみ取って歴史観を作り、矛盾をはらんだデモクラシーを機能させるための言説を発達させた。
日本はもともとそのように視野を広くとって研究するためには、非常にいい環境だと思うのです。
今おっしゃったことは、先生のご論文を拝見した際にも感じました。もっと広い歴史の分脈の中で、吉野作造をもう1回見直すという感じですよね。
ただ、実際にこの東京大学でそういう研究ができているかという問題がありまして、東京大学が有利な点と不利な点それぞれ一つずつあると思います。
不利な点は、日本の研究をしている人はたくさんいるのですが、いろいろな学部や研究所に分散しており、なかなか力を合わせて一つのプロジェクトをやることができないのです。これは、海外の日本関係の研究所などが大きなプロジェクトをやっているのと比べて、むしろ不利なのではないかと思うことがあります。
学生、大学院生の指導もばらばらにやっています。ですから法学部では法学部だけが苦労して政治外交史の教育をしていると思っていますし、文学部では文学部だけが苦労して日本史の教育をしていると思っています。経済学部についても同じようなことがいえるでしょう。このように分散しているというのが一つの弱点です。
しかしそれは長所でもありまして、それぞれ違った立場からですが、自分の方法論でなるべく広い範囲を理解しようとする傾向が強いです。どうせ1人か2人しかいないのでなるべく広くカバーする。歴史というのは総合的に物事を見ることが一番の強みですので、結局はプラスに働いている面があるのです。ですからそれぞれ個別ばらばらに、歯を食いしばって総合的な研究をしているというのが特徴ではないかと思います。時々会って話すととても楽しいです(笑)。
次に、東大だけでなくて日本という国の中の日本研究についてお伺いしたいです。もし特徴があるなら、先ほど先生がおっしゃったような、海外と比較してどのような異同があるかと。同じところもあるかもしれませんけど。
私の観点からの比較になりますが、外交史や政治史の研究が、日本ではまだまだ盛んだということです。これは総合的ということと矛盾するように見えて矛盾しないのです。つまり、ある時代を大きく動かすのはやはり政治や外交の力、というのがどうしてもありますので、偏っているかもしれないけどそこを通すことで全体を見るというのが、一つの王道としてまだ認められているのでしょう。
海外に行くと、特に外交史の弱体化は非常に感じます。これは顕著だと思います。それに代わるものとしてグローバルヒストリーというものがあるのだと思います。グローバルヒストリーは国家同士の関係、あるいは国家の形成というものにとらわれずに、もっと多様な多元的な環境をとらえるのに適していると思います。
しかし他方で近代という時代の大きな特徴は、主権国家に最大限の資源と暴力を集中したということです。それに成功した国が独立を維持し、歴史の因果により大きな影響を発揮したという傾向がありますので、外交史・政治史の役割を否定することはできないだろうと思います。
この日本と海外の違いは多分、大学の制度の違いとも関係がありまして、つまり日本の外交史や政治史は、法学部の中で研究されています。そうすると大きな意味での政治学の一部になります。政治学の一部だということは、色々特殊事情はありますが究極的には科学の一部だということです。科学というのは、どんな小さな試験管でも、新しい細胞が発見されたらそれは発見だ、その細胞がうそであればうそだ、ということになります。
恐らく、日本という対象が世界の中でどれだけ重要であるかということは、致命的な意味は持たないです。政治学的に見て新しく面白い因果関係が日本で発見されれば、日本を研究する意味はある。それに対して海外の日本研究では、日本そのものが重要であるということをいわなければいけないので、グローバルヒストリーの枠組みの中で、日本にかかわる多様な因果関係をとらえる傾向が強くなるだろうと思います。これはどちらがいい悪いということはないので、お互いの価値を認め合って競争すればいいと思っています。
お互いに違うスタイルを持っていますので、競争し合うとともに、相乗効果も出てくるかもしれませんね。
それはそうなのです。日本に関する外国語の優れた博士論文がどんどん出てきているし、外交史や政治史についてもどんどん出てきています。日本だけがたくさん史料を読んでよく知っていると思い込んでいると、これからは恥をかく時代になると思っています。
そんなにご心配ですか。
大変心配ですね。彼ら、彼女らが日本語史料を読めるようになるスピードと、われわれが英語の研究文献を読むようになるスピードを比べると、明らかに彼ら、彼女らのほうが努力していると思います。日本では、日本の史料を読んで、日本の研究を読んで考えて、海外の文献はあまり読まないという人がまだまだたくさんいて、そういう人たちの中にもいい研究をしている人がたくさんいるので、日本をアピールする上では大変もったいないことですね。
そうすると、今までの研究法とかスタイルを変えないといけないということでしょうか。
そうですね、もう少しグローバル化しなければいけないと思います。
ちょうど今、2014年に立ち上げられたグローバル・ジャパン・スタディーズ(※国際総合日本学, GJS)というネットワークがありまして、まさに先生がおっしゃったような、海外の研究と国内の研究をどうやって結び付けるか、会話させるかという目的でいろいろなことをやっています。セミナーの発表とか講演会とか学内の先生に講演していただくとともに、海外の研究者、若手研究者も含めてここで発表してもらうということをやっていて、また、資金があったら、もっと大きいシンポジウムとか長期的な会議とか出版も考えています。ただ、先生がおっしゃったように東大の中にも事情があって、必ずしも誰もが面白いと思ってくれるとは限らないですよね。もう一つ大きい問題は、東大といっても各部局それぞれの世界になって、GJSの情報を広報したくても全学的にはできず、ほかの学部、ほかの部局の学生がこのイベントを知らないのです。すぐ伝える方法がなく、これは非常に困っているというか大きいボトルネックになっています。このような実際の問題も含めて、いろいろな意味でグローバル・ジャパン・スタディーズのこれからの構築に関して、五百旗頭先生のご意見とアドバイスをぜひお聞きしたいと思います。
グローバル・ジャパン・スタディーズの事業内容については、今教わったことが多くて、詳しくは知らないですけれども、一般的にどう発展させるかという問題ですよね。それは学生も参加できるようなシンポジウムをされているのですか。
誰でも参加できるものにしたいので、いろいろなレベルの内容があり、学部生も参加しやすいものにしています。
なるほど。使用言語は英語ですか。
(本学や海外の教授などに依頼する)講演会に関しては、討論で日本語が使われることもよくあります。若手研究者のセミナーに関しては、これまで全部が英語でした。でも我々自身は特に英語という点にこだわっているわけではないんです。日本語でも構いません。ただ内容は、英語でも日本語でもいいので広い視野で日本を語ってほしい。そういう意味で、特にどの言語ということにこだわってはいません。
私も同じ考えですね。結局は言葉の壁が一番大きいのです。日本人はまじめなので、英語をちゃんと勉強して英語で議論できるようにしなければいけないと考えがちですが、まずは海外の方と日本語でもいいからコミュニケーションして、どんなたたずまいで何を考えているかということに慣れるのが一番大事で、英語を学ぼうという気持ちもその後についてくるものだと思います。ですから、過度な理想主義は持たないということですね。
今、三谷博先生のご提案で、本学では東文研の羽田正先生や経済学部の谷本雅之先生などと一緒に、明治維新に関する一連の国際会議を実現しようとしています。その一番のポイントは、完璧な同時通訳を常に用意するということです。英語が苦手、あるいは日本語が苦手と思っている人、あるいは苦手ではないけれども言葉の違いがあるので普段のようには議論できないと少しでも思っている人は、ほぼ全ての人だと思うのです。
この点にご理解をいただいて、きちんとファンドを取って、ストレスなしに国際的な議論ができる場を作る。明治維新150年ですから、これに向けて交流を積み重ねるということを考えています。とにかくそのようにしなければ、今まで日本研究の中で蓄積されてきた知見を海外の場に持ち出すというのは非常に難しいので、そういうことにこの2~3年は力を入れようと思っています。
おっしゃったこの会議はシリーズですか、単発ですか。
シリーズです。海外でもやりますし、それから日本でもやります。日本は京都方面から徐々に東京方面へと舞台を移して、明治維新のときに日本の首都が京都から東京に移っていくという、そのトポス、地理的な感覚を再現することも考えています。
会議はまず京都、次は東京と。
そうですね。
英語についてハンディキャップを持っているほかの国々の人々も含めて、普遍的な場で議論するというほうが重要です。そういうふうに範囲を拡大したほうがむしろストレスは小さくなりますので。
そうですね。英語自体もそもそも普遍的な言葉として考える必要はないですしね。
そうですね、その必要はないと思います。
英語で日本語を表現できないこともよくありますし。
そうなんですよね。
なるほど、分かりました。
一例として、今はもう一つの研究テーマで、俳句の政治史的な研究をしています。
それは面白そうですね。(笑)
これも本当に翻訳が大変です(笑)。
それは不可能に近いですよね。
不可能に近いです。ですから俳句の研究をしている外国研究者の協力を得て、今、少しずつ訳を考えています。
俳句の政治史。これは時代とかありますか。
日清戦争後ですね。正岡子規たちが俳諧・俳句の復興を試みたのがそのころで、ちょうどその時代に野党というものが形成されて活動するのです。野党としての、少数派としての不利な立場で活動し続ける、精神的な基盤を作ることと、俳句を復活させるということの間に関係があると思うのです。
これを海外の研究者に話すとその意味を理解してくれるのですが、日本の研究者に話すと、それは文学史なのか政治なのかどちらから見ても中途半端だといって、あまり関心を持ってくれない人が時々います。これは日本研究という大きな枠で考えている海外の人たちと議論する中で出てきたアイデアなので、やはり交流するメリットは本当に大きいなと痛感します。
非常に大事なアドバイスとご指摘だと思います。
多言語というか、私たちはこれからグローバル・ジャパン・スタディーズの多言語的な組織を作ろうと、そういうふうに考えたほうがいいですね。
そうですね。
ぜひ先生のアドバイスを取り入れてまいりたいと思います。本日はどうもありがとうございました。