2016.01.05

鈴木淳教授(文学部・人文社会系研究科)へのインタビュー

インタビュアー:鍾 以江(東洋文化研究所)

鈴木淳教授(文学部・人文社会系研究科)

本日は鈴木先生にインタビューさせていただきます。伺いたいのは主に三つのことです。最初に、先生のご専門の立場から、東大における日本に関する研究状況あるいは問題についてお伺いしたいと思います。次に、もうすこし広い意味での国内と海外の日本研究にはどのような特徴があるのか、また日本国内と海外の研究の違いについてどのように考えるべきか、先生のご意見を伺いたいです。最後に、私たちのGlobal Japan Studies、すなわち国際総合日本学の構築について、先生のご意見をお聞かせいただければと思います。ではまず、先生のご専門をお聞かせください。

私の専門分野は、明治の機械工業だったわけです。ところが今文学部の日本史学には、近代史の教員が二人しかいません。それが私と野島(加藤)陽子先生です。そうしますと、学生のなかで、例えば機械工業とは全然関係ないけれども、明治期をやっていたり、あるいは都市をやっていたりしますと、私が指導を担当しなければいけない。そのように近代史の全ての学生を、主に昭和の軍事・政治・外交に強い野島(加藤)陽子先生と、主に明治期の社会経済史が専門の私と二人で全部カバーしなければいけないわけです。そうしますと、やはり学生を指導するにも勉強しなければいけなくて、結局、かなり広い範囲の学生を対応しなければいけないし、あるいはゼミでも経済だけをやるわけにもいかないので、やはり都市史だとか、少し社会に関することとか、あるいは明治の始めの方だと、政治や行政についてとか、そういうことも扱わなければいけない。海外では歴史学部がファカルティになっていることが多いわけですけれども、文学部はそれがないので、先生もご存じのように、東京大学の中にはたくさん日本近代史に関する先生はいるわけですが、学生を直接教育するところには、私たち二人しかいないということが、いろいろな悩みの種にはなっています。

そうですね。二人では少ないですね。

ですから、積極的に他のいろんな先生のゼミに出たり、教えを受けるようにと指導をしており、他の先生にもいろいろお世話になっています。しかし、結局、最後は自分たちで修士論文、博士論文の指導とかをやらなければいけないということが、われわれの一番の仕事です。もちろん学生の相手をしている中で、自分の研究の視野が広がるということも多いですし、そういう点で決して嫌なことだと思っているわけではないのですが、ただ、本当に自分で思い浮かべるテーマの割に、それに使える時間も少なく、ちょっとそこは苦労しています。

先生は今指導されている学生さんは何名くらいですか。

大学院生が十人ぐらいですか。

十人ですか。多いですね。

一部は在籍していますし、一部は大学院が終わってから博士論文を書くまでに三年間余地があります。その間にいる学生も三人います。それも含めて全部で十人ぐらいです。

かなり時間を使わないといけないですよね。

論文の指導は特にそうですね。あと、アメリカの研究者などは、博士論文を出したあとで、それを本にするために、同僚と仲間とお互いに読んでコメントし合うという習慣がありますよね。日本の大学では、それができている人とできていない人がいて、そういう人間関係をつくれていない場合には、私が読んで本にしていく相談をしなければいけないです。中には、逆に、本の出版業界の人と友達で、その人に読んでもらうとか、そういういい道を選べる人もいるのですが、そうではない状態の学生だと私が対応しなければいけません。そうすると、学生の論文を読まなければいけないという仕事が非常に多くなっています。

そうですね。一本の論文は何百ページもありますしね。

博論は非常に厚いものになったりするわけですが、一度博論にしたものを本にするまでに、いろいろな出版の助成に応募するにしても、やはり原稿をもう一段、博論とは違う形にしなければいけません。しかしそこの体制が、やはり日本の学問の世界ではあまりうまくできていないのではないかと思っています。少なくともアメリカのように、お互いにコメントし合って練り上げていく、というような大学の文化が、システムとしてはまだ博士論文を書くところまでに限られていて、その先ができていないように思います。

そうですか。例えばゼミがありますよね。ゼミの場合は論文原稿ではなくて資料を読むんですよね。

史料を読む発表を一回、研究発表を一回というふうに、学生たちはゼミで一年の間に二回、発表を行います。研究発表では、論文にする内容についての発表を行います。それ以外に、大学院生同士、学部生も交えての研究会を自分たちでやっていて、そこでもある程度議論しているようです。今はなるべくそういうのを大切にして、博論を出したあとも、お互いに読んでコメントするように、そういう仲間をつくっていけと一生懸命言っていますが、実際には博論を出してすぐに就職する人もいたりして、なかなか難しいですね。

文学部の日本史の先生は、二人の先生だけですか。

日本史の中で近代史が二人です。古代、中世、近世、近代という四つの時代があって、今、四つの時代を合わせて六人の配置です。古代と近代だけが二人なので、この中で見ていると恵まれているように見えるのですが、その近代史として考えると少し難しいですね。そのせいもあるのでしょうけれども、学生の方が、例えばアメリカの大学で考えるように、この先生を選んで進学してくるということではなくて、東京大学の博士過程だから来ているわけです。そうすると、なかなか自分の専門に近い学生だけを指導するというふうにはいかないです。

日本戦後史を専攻している学生はいますか。

今、加藤陽子先生のゼミで一人、戦後の研究を始めた学生がいます。また、ここでは戦前を勉強して、就職してからは戦後のことを研究している学生もいます。大学院、修士に入るための論文で戦後について書いて修士課程に進学したのは、去年の四月に出た学生が初めてです。

アメリカも少しずつ増えてきましたね。

アメリカでは今、戦後日本史の研究が活発ですね。占領期の研究が特に活発ですし。

そうですね。逆に、近世、中世の研究は、もうほとんどなくなってしまいましたね。先生のご専門の角度から見ると、東大の日本史研究には、全体としてどのような特徴があるでしょうか。

やはり東大の日本史というのは、最初から史料編纂所という機関がありますね。史料編纂所と密接な関係を持っているというか、史料編纂所の先生が教えるという形で始まっています。久米邦武とか重野安繹という人たちによって、史料を大切にする、史料を集めて、それをしっかり読むところからちゃんと研究するという、史料に則した研究が始まったわけです。近代史の場合で言いますと、史料編纂所は近代史は扱わないので、我々の研究室の出身の研究者たちが自分たちで史料を集めなければいけないし、それを、例えば国会図書館の憲政資料室に入れるとか、あるいはそれぞれしかるべき収蔵機関に入れていくとかいう、そういう史料を集めるところからやっていくことになります。そして、やはり何よりも、一番の特徴は、史料に即した研究をするということです。その上で、どういう歴史の見方を取るかというのは、やはりどちらかというと、それぞれの学生にゆだねられていて、われわれは実証といいますか、史料に則して、史料から見て無理がない議論かどうか、そこのところをしっかりしろということがわれわれの教育方針です。その上に、どういうアイデアを乗せていくかは、学生それぞれが他のいろんな世界を見ながら考えていくことだと思っています。

海外、例えばドイツとかアメリカの日本史は地域研究になっていますよね。先生から見ると、そのような研究にはどのような特徴がありますか。日本と違うところ、すぐれた点でも欠けている点でも良いのですが、そのようなご指摘があれば、ぜひお聞かせください。

やはり英語圏の日本研究は、おっしゃるように地域研究ではあるのだけれども、それは英語圏で行われている全ての歴史研究というか、文化人類学的な研究も含めて、その英語圏での世界全部を対象にした、さまざまな地域研究でもあるし、あるいは国際関係の研究でもいいですが、そういう世界的な歴史研究の文脈の中で行われています。それが最大のメリットでもあるわけです。だから、いろんなアイデアが、日本だけじゃなくて他の国を研究してきて出てきた課題が日本ではどうなのだろう。あるいは、日本はその中でどういう位置を占めているのかというふうに、世界全体の歴史の中から論点を発見して、それを日本に持ってくるというところがありますよね。
 アメリカで思ったのは、例えばイエールだとアメリカ史の研究者というのは歴史学部に二十人ぐらいはいます。その先生方がそれぞれ専門を持つわけです。マイノリティーの研究をしてみようとか、あるいは文化史的な研究をしてみようとか、その二十人の先生たちが対象とする時期は日本史に比べればずっと短いわけで、その中でいろいろと自分の研究の特徴、自分の歴史の見方を考えていきます。それが非常にうらやましいですよね。つまり世界全体を見渡すというメリットも一つありますけれども、同時に自国史の研究も、そういうふうに多くの人が同時に同じ大学でやっているので、そういう中で新らたなアイデアが生まれ来ます。そしてそのアイデアを使って世界の歴史に例を探していこうとします。その中で、日本はどうなのか、日本の特徴は何なのか、というふうに視点を大きく移動させながら見ることができますから、歴史を見るアイデアは本当に豊かです。日本だけ研究していては浮かび上がってこない論点がたくさん出てきます。
 さらにアメリカ史研究は、たくさんの人が同じ大学で関わっているから特徴が出てくる。自分に合った学生、自分の問題・関心を納得してくれる学生が来て、また、その学生と対話していく中でさらにその世界が深まっていく。同じような自国史、自分の国の歴史の研究が強いというのは、フランスでもそのようです。フランスに留学した先生に聞いたら、やはりフランス史の先生は、地方の大学でも二十人ぐらいはいるという話です。
 日本の場合、少なくともここの近代史に関しては、そういう力がないのが非常に残念です。日本史の場合、もちろん日本全体を見渡せば研究者は多いわけで、それぞれ得意分野をお持ちですが、やはりそれぞれの先生はそれぞれの大学でいろいろな学生を見なければいけなくて、自分の特色を深めていくことが比較的難しいと思います。

日本における日本史研究は大学の間のつながりではなく、学会で集まるというような話を聞きましたけど、いかがですか。

特に歴史学研究会とか日本史研究会とかいう学会でのつながりというのが、日本史全般では大きいです。近代史の場合は、政治学であったり、外交史であったり、社会経済史、経営史そういった専門ごとの学会によるつながりが大きいと思います。

社会経済史、例えば学会でしたら、日本だけじゃなくて他の国の経済史もありますか。

もちろんそういう学会もありますけど、日本史の人がそういう国際学会に出ていくことは少ないというか、あまりほとんどないですよね。

経済史学会といえば日本の。

日本の社会経済史学会で、外国の社会経済史を研究している日本人との交流はあります。

私もそうですが、日本史の場合、特に史料の読解において、日本人の研究者に依存している面が非常に大きいと思います。崩し字もそうですし、他の史料を整理したり活字化したりする作業がなされないと、海外の日本史研究もおそらく、不可能とまではいかなくとも、非常に難しいですよね。ですので、どうやってお互いの長所をつなげていくかという問題についてお互いに考えることには、大きな意味があると思います。先生はこの二つの研究の違いをご指摘くださいました。国際総合日本学には、こうした二つの研究をつなげたいという目的があります。そのために具体的にどのような方法があり得るのか、お考えをお聞かせください。

それは、難しい質問です。というのも、私から見ると、既にある程度つながっている部分はある気がするのです。私は日本人の院生たちに、基本的には日本史の研究を教えていますが、加えてそれほど数は多くないですが、海外の留学生、これはほとんど中国あるいは韓国から来られた人たちですが彼らに論文を書いてもらうとか、そういった形で留学生の指導にあたったり、日本語ができる外国人研究者が接触を求めてきたときに、なるべく対話して、できる協力はしていくという、そういうことをやっているわけです。今のこの研究室で、近代史のスタッフが二人しかいないという状態でできるのは、現状ではやはりそれぐらいなのです。それ以上、日本学として何を期待するかと言われると、これはかなり難しい。ただ、日本の優秀な学生は、もっと英語圏の研究に触れてみるのも面白いし、少なくとも将来、そういうことをやっていこうという意欲は持ってもらいたいです。
 一方で、海外の研究者の研究に触れることができる機会みたいなものは、もっと学内にあってくれるとありがたいです。海外に本格的にどの程度出ていくかは学生次第だし、ここの出身者がアメリカの大学で就職できたりしたら、それは一番効果的かもしれないけど、そういう例は今までありません。なかなか英語圏の歴史学に対する知識が深まっていないので、ちょっとやそっとじゃ無理だと思いますけど、もう少しそういうアイデアを得られる場はあった方がいいかなと。
 今、社会科学研究所で中村尚史さんが研究会をやってくれていて、私も前あれに出て、アンドルー・ゴードン先生が来たときは、一緒に研究会をやって面白かったですけれども、ああいう形は非常に大事です。最近はうちの大学院生にも勧めて、あの研究会になるべく行くように言っています。あれも今のところは中村先生の個人的な力でやっているところがあるのですが、あれをやはり大学としてもう少しシステム化して、もっと広い範囲にできればよいのかなと思います。海外の日本研究者は、東大に本当にたくさん来ているのですよね。だけど、そういうふうにレクチャーする場がない。もっと言うと、彼らに宿舎とか研究室を与える制度ができていない。東大でレクチャーする機会があればやってみたいという人は多いと思います。日本人の研究者と知り合う機会を求めている人も多いように感じます。

さきほど先生がおっしゃったような、学内における海外の学者との交流というのは、それは非常に現実的なご指摘、アドバイスだと思います。

その情報をやっぱりなるべく多く出す。例えば、この間農学部でも、やはりアメリカの日本研究者が来てシンポジウムを開いたのですけど、その話は農学部の先生が個人的にここまで来て、日本史学にもビラを配ってくれて初めて分かったんです。やはり情報が広く共有されていないです。

そうですね。全学的に情報が流されていないですね。

今でも、私、面白いからイエールのアジア研究のメーリングリストに入っているのですが、そうすると、いろんな人が来たから話をするというのがたくさん流れてきて、東大の中の情報よりもイエールの方がよくわかります。海外で活躍する日本人の名前もそっちで見る事の方が多いです。そのあたりの、まさに文字通りネットワークはやっぱりもう少し積極的であって、しかもその情報が大学院生とか、学部生、あるいは駒場の一、二年生でもそういうことが面白いと思う人に届くと良い。外国の日本研究者が何を話すか、あるいは英語でもいいから聞いてみたいという学生は、一年生でも東大の場合いるんです。だから、そういう全学の、スタッフだけではなくて、学生まで含めて、そのホームページを見ればいいということでも良いですが、あるいはそこで申し込めば、メーリングリストで送ってくるというようなシステムを作ると良いでしょう。もしかすると既にあるのかもしれませんが、それならさらにしっかり宣伝していくことが大事かなと思います。

そうですね。今、学生には国際総合日本学のイベントの情報が行っていないというのが実情です。ただ、来年度からレクチャーの参加を単位化するという計画があります。

単位化も一つの方法ではありますね。いずれにせよもっと情報を伝えてほしいと思います。あと、やはり海外から東大に来た人が、話したいと思ったときすぐに利用できる、すぐにそれに応じられるという体制は重要でしょう。もちろんすぐというのは、今日来て来週話すということではなくて、もちろん何ヶ月前までに言ってくれなければというのはあっていいと思うのですけれども、その窓口をつくっておくというのは重要です。

今までインビテーションを送ったら、話したくないという人は一人もいなかったですね。東大で話すことはやはり貴重なチャンスと考えられているのでしょうね。非常にプラクティカルなご指摘だと思います。

それで日本史でいうと、今の実情だと、どちらかというと外国語が不得意で、私もそうですけど、日本をやるしかないと思って、日本のことをやるのは好きだからと来る人が多いです。しかし、例えば駒場で、一年生などのうちに、英語圏の人による日本研究の話などを聞いて、そういう世界に入っていくために日本人として、まずは学部はしっかりここで日本史の勉強をして、それで大学院はアメリカに行こうとか、そういうことを考える人が進学してくれると、本当はそれが日本史としての国際化では一番大事だと思います。そういう点でも、駒場の学生に宣伝してもらえるとありがたいなと思います。きっとそういう学生は潜在的にはいると思います。アメリカで日本文化について議論するとか、日本についてしっかり知識を持って、アメリカの大学院で歴史の勉強をするというのはとても面白いと思うのですけど、それをやりたいというふうに学生に思わせる環境がまだないです。もちろん一生日本にいて、日本の史料をしっかり読むということだけやっていく学生もたくさんいなければいけないのですが、途中から英語圏で活躍するというか、少なくとも向こうに留学して、また、それから道を考えるような人は、本当は日本史に来てほしいです。残念ながら今までのところ日本史から海外に留学する人は非常に少ないです。それは、来る時点でもう、あまりそういう道を考えられなくなっている。つまり、欧米で日本研究という世界があることも、やはり駒場時代にあまりよく分かっていないのではないかなと思います。
 単位化するとおっしゃっていたのはどこの単位になるのですか。

国際総合日本学に教育部門と研究部門がありまして、今、このセミナーは研究部門ですよね。その教育と研究をつなげようというような発想で。

なるほど。教育部門のセミナーで。

それで、教育部門の担任の先生は法学部の藤原帰一先生です。そうしますと、単位化する場合は、おそらく藤原先生が教える科目の一つとして設定されるのではないかと。そのほかに園田茂人先生がいまして、情報学環の先生ですが、園田先生もこの国際総合日本学の事務局の中心メンバーです。

例えば駒場の単位として、全学自由ゼミナールというのかな。あれで、例えばそういう国際日本学みたいなのを出して、そちらでやるレクチャーを全部聞くのは無理にしても、例えば三回聞いて、それぞれについてリポートを出せと。それで全学ゼミの単位に認めるとかいうことを提案してみるというのはどうですかね。その駒場の単位にしていく一つのやり方にして。その中でレクチャーを何回やるか分からないですけど、例えばレクチャーの案内をするから、その中から三回選べばいいし、それ以上は来たければいくらでも来いとか。

とても貴重なご提案に感謝します。こちらとして今考えているのは、このGJS、Global Japan Studiesのセミナーシリーズと講演会シリーズが年に十何回あります。その中の十回ぐらい来てもらって、リポートを書いてから単位をあげるという。もし、既に駒場にある科目の中に組み込むことができるのであれば、もっと良いですね。

そうですね。自由ゼミは比較的簡単にできると思います。ただ、その時間に駒場の学生が来られるかどうか、時間割が分からないと難しいので。そういう人は、場合によっては駒場で講演自体をやらなければいけないことになるかもしれないですね。

木曜日の五時です。

そうなんですか。その決まっている時間は。

駒場からは片道一時間ぐらいかかりますね。

そうすると、木曜の四限はだめかな。

これは一つの可能性です。来られる人が来られたらいいですから。

一年生がそういう学問的な刺激はすごく求めていますね。本郷に来ると元気がなくなっているといわれています。

そんなことはないですよ。

いや、これからだって、元気を出させるのがこっちの仕事ですけど、自分で外を向いて、東大生はこんな授業も聞けるんだって一番面白がってくれるのは一年生です。

いろいろお話をいただきましてありがとうございます。非常に大事なアドバイスもいただきました。そうしたら、今日のインタビューはここで終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。