2015.06.16

佐藤宏之教授(文学部・人文社会系研究科)へのインタビュー

インタビュアー:鍾 以江(東洋文化研究所)

佐藤宏之教授(文学部・人文社会系研究科)

今日、佐藤先生にインタビューをさせていただきます。まず、先生のご専門を聞かせてください。

私は考古学ですが、考古学も幅が広いもので、私はやっているのは、いちばん古い時期です。旧石器時代というのですが、人類が登場してから農耕が始まる大体一万年前くらいまでの時期です。一万年前はいちばん新しいというか。ですから大げさ言うと、アフリカで人類が出現してからなのですが、それは七百万年前で、考古的な史料は出てくるのは二百五十万年前です。でも日本にはそれがなく、東アジアにもないものですから、日本の場合ですと人類の登場は大体五万、六万年前で、数万年前の氷河時代の研究は中心なのです。ですから、日本学というと、まだ日本という国ができてないし、最初から〔研究には〕国境はもちろん規定されてないですね。しかし数万年前でも、日本の島というのがあったので、そういう地理的限定ができますけど。ただそういう研究の状況があるものですから、当然研究は今の意味で国際的です。東アジアの人たちと一緒にやるということになります。ですから我々の研究は、もう考古学の中では比較的に国際化しています。国際学会も盛んですし、研究発表も英語で書くのは普通になってきています。若い人もそういうふうになりつつあります。普通、人文系の中には、私の分野はすこしショックですよね。例えば、私は今入っている「アジア旧石器協会」というのはあります。これは、ロシア、韓国、中国と日本四ヶ国が今持ち回りでやっていますけど、毎年どこかの国で会議をして、年次大会をやって、そこで研究発表という持ち回りでやっています。そのくらいは日常にお付き合いしている現状です。

そもそもここでは日本という国の枠はないですよね。

ないですね。私の研究の中に日本国がないですから、多分国民というのは無理だと思います。日本列島にいた人、最初の文化がどういう風に形成されてきたかという問題を扱っているとお考えになっていただければいいと思いますね。

考古学について全く知らないですが、学問としての考古学は近代国民国家と国民文化の形成に一つ役割が果たしたというふうに聞いたことがあります。

その通りです。

こういう意味で、東大の考古学は全く知らないものですが、先生の御意見ご感想はいかがでしょう?

そうですね。もちろん、考古学も近代科学ですから国の枠組で始まったのです。他のどの国とも同じに。考古学の成立は、大体十九世紀の終わりなのですが、東大の場合はすこし遅いです。考古学の講座ができたのは大正年間で、学生を募集するようになったのは、戦後すぐです。ただし、考古学の役割はどの国も同じですけど、自分のネーションの起源を文献以前に遡って、物で跡付けるというのは考古学に課せられた使命、最初の段階は、現在もその分ないことはないですけど、それはもちろんありますので、我々旧石器時代をやる人でも、最初の日本列島の人や文化が表れたところ、研究しようという分野で始めたと考えていいと思います。

そこからまた視野が広がっていったのですね。

そうですね。戦前は、ご存知のように記紀神話というのがありましたから、「先住民」の遺跡があったのですが(日本人はそんな野蛮なことがやってないと、日本人ではなく「先住民」に直された)、「先住民」の研究なので、日本文化の起源は弥生時代で、農耕から始まったというふうに考えられたのです。戦後でその枠組みはなくなりましたから、むしろ最近縄文時代が日本文化の起源だというのが多いですね。くるくる回って、まだ旧石器には行かないですね、さすがに。縄文時代は起源という議論は最近のブームですよね。やはり日本国民の起源、日本国の文化の起源というほうの見方が強いですね。もう一つは、東大は国立大学であって、国民の税金でやっていますので、国民の関心というかそれを無視して研究を進めるというのがいけない面もありますよね。ですので、どうしても日本文化論というのが重要なテーマになります。

時代によって考古学の考え方と視野はかなり違いますね。

そうですね。方法もかなり違います。

違う方法とか視野とかの間衝突が起こりますか?

そうですね。あんまり衝突ほどでもないですね。いまのところは、日本の国のでき方とかは、かなり相対化されてきて、国民だってできたのは明治時代以降ですから、それ以前に関しては、考古学は江戸時代とか新しい時代に文献がありますからあんまり盛んではないですね。文献以前の、あるのも少ない時代、古代より前というのが、やはり日本でも考古学の主題ですね。物から歴史を組み立てようという考え方ですね。そうすると、弥生時代くらいになると日本列島にいた人々という存在以上のものではないです。日本国なんてないですから。国の単位が全くないですので。多分地域の集団というような話ですよね。地域に集団で首長のような偉い人がいて、階級があって、縄文時代にするとそれすらない、地域集団があるけれども定住して集落を作ってと言っても、それ以上のものがないという考え方ですね。旧石器時代になると定住すらしてないですよね。多分移動して暮らしていると思いますね。

ハンティングして。

ハンティングですよね。ハンターゲザーと言われていますけれども。ある地域性がでて来るのは、もう旧石器時代の終わりごろですよね。それ以前、日本中かなり似たような文化の内容ですよね。

次はもう少し一般的な質問ですが、グローバリゼーションといわれる状況で、海外と国内における日本研究について、先生の御意見がいかがでしょうか?

考古学と少し離れて、文学部の立場からの意見ですが、グローバリゼーションというのは、はっきりと言って英語化ですよね。文学部にしろ、東大にしろ、英語圏に関するプレゼンスを強くしろとか、そことの関係を重視しているとはあるのですが、特に日本研究というのは、やっぱり東アジアの中にある程度位置づけないとあんまり意味がないと思いますよね。もちろん英語圏の研究は大事ですけどやっぱり多言語でやらないといけないですよね。我々もですから、まず「アジア旧石器協会」を作って、もともと考古学の出発点であるヨーロッパとかアメリカにたいして、アジアの研究、我々の研究はこういう水準があって〔と見せて〕、もともと定められた定義はヨーロッパの定義ですので(いまだにそうなのですから)、それに対してやはりアジアは違うのですというのが今異議を申し出る段階ですよ。そう意味で、単なる英語圏グローバリゼーションによって、ヨーロッパ・アメリカが定められた基準をどう受け入れて消化するかという争いよりも、アジアはアジアの独自性があるし、日本は日本の独自性があるので、それを理解してもらう努力というのがかなり大事だと思います。そのためにやはり文学部は多言語主義なのですよ。授業でも英語の授業を取り入れなさいとかいろいろありますけど、同時に多言語化するのが大事なので、フランス語、中国語などでやる授業でも今年からオーペンしているのです。アカデミック・ライティングなんかもそうなのです。英語は当然なのですけど、フランス語・中国語・ドイツ語でのアカデミック・ライティングも開講しています。多言語しないと色んな考え方の良い意味でのぶつかり合い(ディスカッション・ディベーティング)ができないので、それが重要ではないかなと思います。昨今の情勢を見てみると、そう行っていないかもしれませんが。

西洋でできた知識の枠組みを相対化することは大事ですよね。そういう意味で、それも国際総合日本学が考えていきたいことです。

多分私なんかが期待するのがそういうことですよね。格好よく言えば相対化ですけど、むしろ国際総合日本学という限りは、日本ないしアジアの知、その多様性でしょうか、それを発信していくというのは非常に重要な使命ではないかなと思います。我々考古学の場合ですと、発掘などの海外調査もけっこうやるのです。一応各国の法律があるので、難しい部分がないことはないですけど、現在ここの考古学研究室では、ここ二十年くらいロシアの調査をしているのです。ロシア極東部ですよね。サハリンとか、北のほうです。北回りの文化ルートみたいなものをずっとテーマにやっています。北から日本列島に入ってくる文化をすこし重視しようと。ですから、他の学問ですと、文献とかファッションとかそのようなものだと思いますが、考古学の場合は生活なのです。生活の道具など、そういう生活や様式ですよね。そういったものも当然北から日本に入ってきますので、これは従来の日本史の中であんまり重視されてなかった視点なのです。それは東大の考古学では少し力を入れましょうと考えているのですけど。

それは縄文時代の前ですか?

縄文もそうです。縄文もやはり日本列島に北から入ってくる。文化全体ではないですけど、生活の道具とか、生業とか、そういうものはかなり影響が入ってきていますね。そういうものを追求していくためにはやはり国境がないので、国境ではないけど、それと似たようなところに文化の境界というのがあるのです。不思議なところに現在の国民国家の境界に近いところに。ですから、それはなぜだろうというのがやはり考えていくのが考古学はいちばんいいかなと思っているのです。 例えば、サハリンは嘗て日本とソ連(ロシア)の国境がほぼ北緯五十度線近くにあったのですけど、大体あれくらいに自然環境が大きく変わります。もともと住んでいる先住民も違うのです。意外と会うのですね。

理由があったでしょうか。

理由があって、もともとそうしてすみわけしたじゃないかな、文化的、生活的に。それをある程度意識して引くときは引いたと気にしますね。もちろんサハリンの北緯五十度というのは、和人つまり日本人ではなくて、アイヌの人たちと北方の先住民の境界線なのですよ。

その時すでにアイヌの人たちがいたのですか?

もうサハリンの南部には入っていますね。樺太アイヌという人たちがいて、おそらく北海道から北上しているのだと思いますけど、中世の始めくらいから。それくらいで、やはり北緯五十度線より北は行かないです。そこは別の先住民の文化があって、そこへ行って受けたとしても多分生活が変わらないといけないから、難しいのですね。同じように、アイヌの人たちは、日本で言っている所謂北方四島のですね、択捉の南くらいまではアイヌの文化なのですよ。

生態的な意味ですよね。

そうだと思います。だから北方四島は千島列島の中でも北海道の生態系なのですね。そこまではアイヌの集落がたくさんあります。

戦前のモンゴル系・タタール系などの研究はかなり盛んだったと思いますが、今の考古学はそれと関係がありますか?

モンゴルの問題ですと、文化の問題は間接になりますね。文化の問題はいちばん大きいのが鉄ですね。鉄を使うという文化の影響ですね。モンゴルまたはロシアの南部なのですね。そこはやはり鉄を使う文化で、基本的に中国もそうですが、鉄はトルコとか西からくるのですね、シルクロードの反対側から鉄の文化が入ってきて、中国で一回止まるのですけど、モンゴルとか中国の北部は鉄を使って、国が強大になるのです。それが朝鮮半島に入ってきて、それに日本に入ってくるのです。それが入ってくると国家が形成されるのです。鉄は大事で、当時は最新兵器ではないかな。

私の研究テーマは出雲大社で、出雲地域に80年代によく考古発見があったのです。鉄ではなく銅でしたが。それで古代出雲政権があったではないかと結構議論がありました。

青銅器は最初武器ですけど、途中から完全にお祭り道具だと思いますので。日本の場合、鉄を持って征服するよりも、道具なのです、武器よりも。むしろそれをたくさん持っていて見せびらかした方がいいです。こんなにあるのだから強いだから従いなさいというような使い方をしているのが普通みたいですね。それはやはり島国なのではないかなと思いますよ。

江戸時代の刀みたいですね。

そうですね。抜かないですね。抜いてはいけない。抜いたらもう対決しなきゃいけないから、それをやめましょうということだと思いますよ。

国際総合日本学は、具体的にどのような方法でやったらいいでしょう?先生がおっしゃった多言語、違う視点などがありますが。

先ほど申し上げた多言語は大事ですね。だからといって英語は必要ではないという意味ではないので、やはり英語は現在科学の世界では国際語ですよね。事実上共通語になっていますから、それを認めざるを得ないと思いますよ。先ほど言った四が国語のアジア旧石器協会でも会議語は英語なのですよ。やはり地元の言葉でしゃべると通じませんので、四つの言葉とも外国語ですから、同じですよねというので、結局英語でやらざるを得ないです。そういう意味で、学問をやるためには、英語は必要です。手段としての英語というのは必要だと思います。ただ、問題なのは、英語圏で培われた知識の枠組み、知識の立て方まで全部従わなければならないのかというのはまた別問題だと思います。考古学全部そうなのですけど、おそらくほかのところもそうだと思います。国際誌って大体欧米なのですね。東アジアで頑張って作っても投稿者を見るとやはり欧米のほうが一番だと多分みんな考えているのですよね。やはり雑誌の水準ですよね。そういうものはやはりどこかで作っていかないといけないと思いますね。国際総合日本学は国際的な成果の発表の場ですよね。それを国際化するのが重要だと思います。話は別になりますけど、日本では「日本考古学協会」はいちばん大きい学会ですよ。今四千四百、三百くらいの専門家が入っているのですけど。うちの学界でも三年前に英文誌を作ったのですけど。エディトリアル・ボードでイギリス、アメリカの人にお願いしてやっているのですが、投稿がないですよね。「日本考古学」、“Japanese Journal of Archaeology”のタイトルなので、なかなか欧米の方々に投稿されないというのがありますね。もちろん研究者が少ないのもあるのですが。ですから、そういう交流の場を作っても、一流の水準にどうやって持ち上げるかというのが多分今後の課題、かなり早急に考えなきゃいけない課題だと思いますね。

私の個人経験でも違いを感じます。語り方、話し方が違うように感じます。

違います。それは分野によって違いますね。日本の学界で原稿の読み上げかたなどいろいろありますけど、海外はそういうのは少ないですよね。完全なプレゼンテーションになりますけど。そういうのが日本はまだすこし慣れてないですよね。どうしてもネーティブではないので、完全に原稿なしでプレゼンをやると、やはりプレゼンの質が下がっちゃいますね。日本人は。これはアジア系の人も多分近いと思いますけど。ちょっと失礼な話なのですけど、日本、中国などの東アジアの若い人はアメリカとかで留学して、よく勉強されて英語もうまいし、発表も非常にうまいですけど、よく聞くと内容があんまり大したことないですね。だからそこをどうみるかというとこだろうなと思うのですね。そこの手段をどう考えるか、これは私達も考えていますけど、なかなか難しそうですよね。簡単に留学制度を整えればいいやという話はたぶんないと思いますね。我々も数年一回は大きい国際会議が開くのですよね。世界中にインビテーションするのですけど、滞在費と旅費を出すなら発表に来ると、そうではないと人を集めないですね。ところが、我々は向こうに行くときそういうことはほぼないですよね。よくて学会費の免除という程度ですね。

このような差がありますね。

差ですよね。見えない差です。これを解決するような話がないので、実際にその差をどう埋めるかというとこだと思いますね。

日本だけではなく、アジアという大きいコミュニティまたは枠を作れたらどうでしょう。

そうです。アジアでも中国なんか非常に頑張って、今やられていますけど。本当に、自分のとこでこんな学会をやるから、好きだったら来てもいいよというようなスタンスで人を呼べるかという、それだけの実績と力、やはりアジアが持たないといけないと思っていますよね。それがどのような時間かかりますか分かりませんけど。

確かに。そろそろ時間になりますので、今日のインタビューをここで終わらせていただきたいと思います。佐藤先生、今日どうもありがとうございました。