2015.02.12

松井洋子教授(東京大学史料編纂所)へのインタビュー

インタビュアー:鍾 以江(東洋文化研究所)

松井洋子教授(東京大学史料編纂所)

まず、先生のご専門を聞かせてください。

私は、日本の近世史、つまり江戸時代の歴史の研究をしてきました。江戸時代は「鎖国」とも言われ、非常に管理されたかたちでしたが、やはり外国との関係を持っていました。近世史の中でも、特にこの外国との関係について研究しています。私自身はたまたま色々なきっかけがありまして、オランダ語を少し勉強することになり、主に長崎の出島というところで展開してきた日本とオランダとの関係を中心に勉強してきました。史料編纂所というところは、日本の歴史に関わる様々な史料について、研究してそれを史料集として出版する、ということを仕事にしております。その中で、私は、長崎でオランダ商館長の書いてきた『商館長日記』の編纂というのを担当しております。オランダ語の史料と日本語の史料と両方を使いながら、双方の違いなどを見ながら研究していきたいと思ってやってきています。日本の歴史を研究するにも、やはり国内だけを見ているのでは不十分だというのが、常々感じていることで、国際総合日本学ネットワークの話があった時は、是非参加したいと思いましたし、羽田先生の「新しい世界史」の話も、なかなかついて行くのが大変なのですけれども、日本史の研究者が余り関わっていないのもやっぱりおかしいなと思いながら、なんとかご一緒させていただいているというところです。

東大における日本に関する研究というのも非常に大きくて、逆に日本学というのがたぶん日本の大学にはないですよね。みなさんそれぞれ日本現代の社会だったり、経済だったり、というふうな形で、それぞれ違うカテゴリーを築いて研究しているということ、やはりそれは、自分自身の努力が足りない面もあるだろうけれども、全体として他のいろんな分野でどういうふうに考えて、どういうふうに研究しているだろうということが、必ずしも日常的に見えているわけではなくて、このネットワークは、その部分、例えば研究会などで、今まで自分が考えていたのと違う方向からの話をいろいろ伺ったりできるということが非常にメリットだと思っています。

細分化というんですか、研究の内容がすごく細かくなってしまっているっていうのは、歴史もそうですけど、各分野とも精密化していくとその分どんどん細かい話になってしまうというようなことは、共通して持っている問題だと思います。それと国内と海外の日本研究という問題と関わっているんですけれども、日本についての研究を日本語でやっている、そして日本語で発表しているという、それは非常に自然なサイクルと言えばそうなんですけれども、でもやはりそれだけで完結してしまっている部分というのがかなり大きいのではないでしょうか。それだけでいいとはなかなか言えないのかな、と思います。

実は、ジャパノロジー、日本学っていうのは十九世紀半ばくらいヨーロッパから出て来て、ヨーロッパの古い有名な大学には、日本学科というのがあるところもあったり、今はそれが東アジア学科になったり、アジア学科になったりというところも多いですが、専門の研究者の方がいらっしゃって日本のことがかなり研究されているのですけれども、海外の日本研究者の方々は非常に日本語がおできになります。史料編纂所にも外国の研究員がいらっしゃるのですが、みなさん古文書までお読みになるような方々です。そのようなことがあって、特に私の分野の日本史などでは、日本語で発信する以上のことというのはなかなか考えないできてしまっている。結構海外を訪問する先生は最近増えていますけれども、海外の日本学や日本史をやっているところを訪ねて、大体日本語で済んでしまうような環境もかなりあるようで、あまり日本語の世界から出ていないというのは一つの問題かなと思います。

日本史についてでも、やはり研究スタイルとかものの見方は必ずしも同じではないわけですから、日本の研究者たちが自分のものの見方でしている研究というのは、日本の研究者が発表しなければ、海外の日本研究者に分かってもらえないだろうとは思っています。ただ、それは言うのは簡単ですけれども、実際に日本語で書いた論文を英語に訳して発表しようという途端、それはとても難しいことで、実際羽田先生の仲間に入れていただいたりして、一つ二つ試してみた限りでも、やはり大変で苦しいというのはあります。ただそれを全然あきらめてしまうと、やはり海外では、日本の研究者がやっている日本研究と全く違う日本研究が展開していて、お互いに知らないようなことになってしまうかな、それも非常に残念なことだし、これだけ日本で日本人が日本語で研究しているのに、知ってもらえないとしたらもったいないことだと思っています。

難しいというのが理由はたくさんあると思うのですけれども、その一つは、日本語の世界の中で、しかも自分の専門の世界の中で研究していると、それを表現する方法もやはり自分の世界の言葉だけで発表してしまうということになってしまいます。私がやっている江戸時代でも、実際に江戸時代の史料の中に書かれた言葉をそのまま使ったりします。それは史料の用語の引用である場合と、もうすこしそれにいろんな概念が付け加わったものをその言葉で表現してしまう場合があって、それはやっぱり翻訳するとか、外国人の方と話をするという洗礼を受けると、そこでうまく説明できないことや、きちんと論理的説明をしないで以心伝心で分かってもらった気になっているようなところ、その普段気が付かないで済ませている部分というのが結構あるのかなという感じがします。だから自分自身、より厳密に考える力というか、正確に言葉を使って表現するそれから伝えることのためにも、自国語の中にとどまらないということは、方法としても重要なことではないかなという気がしています。それは理想としてはそうなんですけど、実際やろうとすると本当に難しい。そしてまた適切な訳語、一言で一対一の対応にはならないことも多い。つまりやっぱり言葉というのはものの考え方だから。

で、私がやっている仕事は、実は、オランダの手書きの史料なんですけど、これは十七世紀のもので、トランスクリプションをして、それを日本語に翻訳するというようなことをやっています。そもそもその仕事をするのも難しいですけど、言葉の置き換えだけではなくて、背後にあるものの考え方の違いというのは、ものすごく感じます。そのギャップは面白さでもあり、外交的な経済的ないろんな交渉をするにも、お互いの違いの間合いを図りながらやっているというのが見える。二つ以上の言葉、二つ以上の文化を跨ぐということが、その人のものの考え方の幅を増やしていくだろうなという感じはしますよね。その意味でも、やはりそういうことを多くの人がやっていくということが重要なんじゃないかなと思っています。

そういう意味でも、国際総合日本学の構築をしなければと思っている方々のネットワークを作っていくのは重要だと思うし、その中でいろいろと多くの方と出会ったり、議論したり、方法を学んだりということができたらいいなと私自身が期待して、名前を連ねさせていただいていたわけなのですけれども。でも、じゃ何ができているかというと、本当に難しくて、日本のことを研究する、日本史を研究するのに外国語が必要だとはあまり思わないか人が多いと思います。非常に面白いことに、漢文のものっていうのは、たとえ中国で書かれたものだとしても、特に昔の先生たちは外国語だという認識はあんまりしてなくて、史料編纂所が作っている史料集でも古い時代には自然に取り入れていたようです。だから中国の古典でも漢文として日本語の読み方で読む。今はそういう時代ではなくなって、それを外国語として取り入れることについてはこれからいろいろ工夫していかないといけないのかなと思っています。この日本学ネットワークのご担当として鍾さんがいらしたことを伺って、やはり根元のところから日本人だけでやっちゃダメということを体現していただいているのだなという風に非常に思いました。

ありがとうございます。先生がおっしゃったことは今まで聞いたことがないご指摘と感想でして、とても勉強になります。先生の海外での経験が豊富だと思いますが、海外の日本研究は日本での研究と比べるとどのような特徴がありますか?

どうなのでしょう。私はそんなにたくさん経験があるわけではないですし、それとやはりアメリカとヨーロッパでは日本学といってもすこし方法やものの見方が違うかなという感じがしますし、おそらくたとえば歴史学でいうと、それぞれの国でどんなふうに歴史を学んだり、研究したりしてきたかということが、外国のことをやるにしてももちろん反映してくるだろうなという気がします。必ずしも日本と日本ではないところを二つに分けて話ができるかというと、そうでもないかもしれない。ただやっぱり共通して言うと、遠くから見るのと近くから見るのと、倍率の違いのようなものはありますよね。だから、日本で日本のことの専門家っていうのはいないけれども、逆に日本で外国史をやっていらっしゃる方だったらば、地域によっては古代から今まで一人である国の歴史全部の専門家であったりするということは、やはりそういう倍率の違いで、それはだから詳しいこと、細かいことを知らないじゃないかとも言えるけれども、大きくとらえる、外からとらえるというものの見方で見ている、という違いなのだろうと思います。

外国の日本史研究者が日本の研究を読んでくださる場合でも、事実関係は理解しやすいから、こういう事件があったとか、こういう人があったとか、そういうことを読んで理解するけれども、たぶん叙述を叙述としてどういう論理を立てて書いているかというところまでは、理解されているか、理解しても取り入れるかどうかはまた別で、全然違ったものの考え方が出てくることもあると思います。日本史で言うと、今国内での研究というのはとても精緻になっていて、史料の引用や解釈などの細かいところをきちんとやらないといけない、それはすごく重要なんですけれども、やっぱりそこに非常に力を注いているために、離れてみるようなことは難しい場合も多い。縮尺の問題というか、倍率の問題というか、そういう意味では違いがあるかなというふうに思います。ただ、日本の史料の細かいところまで読める外国人の研究者の方もいらっしゃるので、それはうかうかしてはいられないと思っております。

最後に国際総合日本学の構築に関する御意見とアドバイスを伺いたいと思います。

いや、意見とかアドバイスとか、言えることはないですけど。やはりいろんなレベルで、いろんな情報が得られるということと、いろんなコンタクトの場って言うんですかね、そういうものがだんだん作られていくといいのかなと期待しています。先生も学生さんも忙しくて、とりあえず力になる以外のことがあんまりできる余裕がないような感じもしますけれども、今研究会とかを開いていただいている情報が来るのがとてもありがたいことだと思います。これからもホームページとかでいろいろ情報を流すということを考えているわけですよね。そういうことをだんだん積み重ねていって、「そこに行けば」というふうにみんなが思うような状況ができていけばいいのかな。あと、教員だけではなくて、学生さん、院生さん特に若い学部生のころからそういうことを意識するような仕掛けというのを作っていくこと、例えば学生さんに対する講演会とか、そういうものを積み重ねていって、本当の意味で国際化した日本学みたいなものを担うのは次の世代、次の次の世代、というふうに思っています。

先生方が忙しくて国際総合日本学のイヴェントに参加できない場合が多いと思います。国際総合日本学としてアピールできるポイントを出そうとしたらそれは何でしょう。

皆さん多分内在的に日本語だけでやっていたら広がらないと気にしているんですけど、ただでもそれじゃ英語ならいいかみたいな感じの話になるとそれは抵抗もあると思います。英語だって万能の言葉ではないっていう人もいますし、英語帝国主義だという考え方を取る人もいると思います。でもやっぱり日本人が日本語だけでやっているのじゃ、つまらないじゃないかという…自分もそんなにできているわけじゃなくて、やはり日本語の世界でやっているほうが楽だと思うことがしばしばあるんですけど、日本語だけじゃなくて、あるいは日本の大学の人たちだけでやっているより面白いなというふうに思える、何が面白いかは人によってそれぞれですけれども、面白いから「もうちょっと」ということにならないと、そもそも研究者の研究って強制力だけではできなくて、自分がやりたいからやっているところがありますよね。ノルマや義務だったらやはり広がらないと思うんですけど。

非常に大事な御指摘だと思います。いかに先生方に面白さを感じていただくことは国際総合日本学の大きい努力するべきところですね。今日のインタビューはここで終わらせていただきたいと思います。松井先生、今日はどうもありがとうございました。