高見澤教授(東京大学東洋文化研究所所長)へのインタビュー
鍾 以江(東洋文化研究所)
まず、先生のご専門についてお伺いしたいです。
私の専門は中国法です。主には、清末から、民国を経て、中華人民共和国までの法が対象です。時々台湾とか、香港とか、マカオのことも調べます。清末以前のことも時々やっています。近代法に関して言うと、日本との比較で授業をやったり、ものを書いたりすることがあります。清末から中華民国時代というのは、ちょうど日本の幕末から昭和の時代と比較すると分かりやすいものですから。
日本ではなく中国をご専門になさる先生からの御意見は、国際総合日本学の構築に大変参考になるではないかと思います。東大での日本に関する研究について、先生のご意見を聞かせてください。
私は法学部の出身です。法学部で学んだことは、大分日本の法律についてです。大学院に進学してからの専門は中国法です。このような立場から見ると、日本の法学には、外国人から見た日本法というような感覚も持っていたり、いなかったり、いろいろなタイプの研究があるように見えます。日本人が日本の法律を考えるのが当たり前すぎて、日本研究をやっていると思っていない場合もあるでしょう。私たち外国法研究者は、外国へ行くと日本の法律を紹介することがあります。そうすると、他者の眼で見るということがあります。ある分野の法の専門家として日本の法律を議論するというのは、専門家ではないからできないです。だけれども、外からの眼で、他者からの眼でみるというのができるのと、市民として発言する権利があるのとで、そのようなことができるかなと思います。専門家ではないので発言をためらうとうこととあたかも他者であるように自分の国の法を見るということとの中間がないのは仕方がないのかもしれません。英米法の先生はアメリカに行くとやはり日本の法律を紹介することになるし、フランス法の先生も同じだし、私も中国に行けば、日本のことを紹介することもあります。ただ問題は、専門家ではないから、そんなに細かいところまではできません。日本法の先生方の議論を紹介するのがせいぜいです。
非常に大事な御指摘だと思います。中間がないことは、ギャップということですよね。次は、日本と海外の日本研究の現状と問題に関して先生の御意見をお聞きしたいと思います。
まず中国の日本法の研究に関して言うと、偏りがあって、一つは唐の時代を中心にして律令制度の交流については、研究は比較的あります。それから、近現代についての研究も結構あります。その中間の、例えば平安時代のおわりから江戸時代までという中世から近世にかけての法制史をやる人というのはほとんどいないですよね。もちろん、日本の古文ができないといけないという難しい問題があるからでしょう。ただ中国の比較的若手の何人かのかたは、そういうのにも興味を持ってくれているので、そういう人たちには可能である限り協力したいかなというふうに思っております。それから、北米だと日本法研究はむかしもうちょっと数がいたはずですが、今は大分減っているのかもしれません。若い人たちは、中国法研究に流れているんじゃないかなと思います。あと、オーストラリアの場合には五年間で学士号を二つ取れるそうです。そうすると、日本語とか日本文化を勉強して、それから法学の学位も取って、弁護士になるような人もいます。日本語ができて、弁護士の資格もあるような人たちというのが育っています。たぶん中国語・中国文化を学び、中国法を学ぶというパターンの方が多くなっているかもしれません。日本として数がそれほど多くないけれども、海外で日本法研究をやってしてくれる人たちをエンカレジしていくのも大事だと思います。
中国が大きくなってきていることは日本研究を辞める理由にはなれないと思いますね。
ええ。例えば、プリンストンの東アジア学部みたいに、あるいはアメリカ全体そうだと思いますが、CJKVという言い方をするでしょう。China, Japan, Korea,最近Viet Namを加えて、東アジアのことをかれらにすれば勉強するから、その四つの言葉も一定程度勉強するでしょう。もちろんいちばん得意なものとそうでないものとがあると思いますが。だからプリンストンから来られた方々(2014年12月)も日本語ができる人も中国語がちょっとできるし、中国語ができる人は日本語もちょっとできるでしょう。ああいう水準の高さはどこの大学でもあるわけではないけど。シカゴはどうですか? やはり東アジアを研究する人はある程度東アジアのいつかの言語ができるのではないですか?
そうです。そのような要求があります。言葉の要求を満たさないと卒業論文を書く資格はもらえないです。では、最後に国際総合日本学ネットワークについて先生の御意見とご教示を聞かせてください。
国際総合日本学に関しては、東洋文化研究所はできれば組織的に支援していきたいです。東文研が主としてやる分野があっても、他の部局が主としてやることをお手伝いしてもいいし、どのような形でも現場の先生や関係する学生がおもしろくできれば、それが一番です。財政的側面は本部や関係する部局と相談しながら進める必要があります。ところで、国際総合日本学は、駒場のPEAKと一緒なんですか、別ですか?
別々です。国際総合日本学は研究と教育との二つの部分に分かれて、研究の部分は東文研にあって、PEAKとは関係ないです。教育の部分は法学部にあります。交換留学などの学生の為に英語の日本学プログラムを立てようとしています。
そうですよね。それは必要だと思います。それから、外国から見れば、アジア研究って言えば、当然日本も入っているはずです。東京大学の場合、従来すみわけはあって、社研は近現代の日本をやります。史料編纂所は前近代(一部近代)の日本をやります。私たちは日本以外のアジアをやりますという棲み分けをしてきたように思います。国際総合日本学という問題の立て方をするなら、東文研で日本研究をやることには特段の問題はないと考えています。例えば、人類学の人たちは、日本以外のアジアも沖縄も研究対象にします。台湾研究は日本研究の場合がありますよね。朝鮮についてもそうです。植民地研究という側面があるからです。日本を研究しないとかえって難しい、むしろ不自然になります。国際総合日本学といった時には、今のところは英語による発信とか、英語で研究している人たちのサポートですけれども、いずれはその以外の言語で研究している人たち、特にアジアで、アジア言語で日本研究をやっている人たちを応援するということも、この研究所ならできると思います。英語よりアジア言語のほうが楽な人が多いかもしれません。
東文研は資源としては十分あるんですよね。
ええ。たぶん中国語でサポートするのもできるし。韓国語でもサポートする人もいますし。昔はインドネシア研究の加納先生がいらしたのでインドネシア語でインドネシアの日本研究をサポートすることができたし。こういうのはだんだん増えてくるといいのかなというふうには思っています。それからもう一つは、東文研は、外国の研究機関から見ると東アジアの人文学を中心に貢献することが求められます。しかし、我々の考える東アジア研究には人文学以外の社会科学も含むし、我々の考えるアジア研究には南アジア、西アジアを含んでいるので、この点を我々のアジア研究として主張したいと思っています。
東文研は様々なディシプリンがあって強い研究ができますよね。
プリンストンとの会議の時も、桝屋先生が報告してくださいましたでしょう。桝屋先生は西アジア研究者ですから、そういう形で、日本研究と東アジア研究、東アジア研究ともうちょっと広いアジア研究っていうように、広げて、繋がっていくっていうのは仕事だなっていうふうに思っています。
インタビューはここで終わらせていただきます。高見澤先生、どうもありがとうございました。