第38回HMCオープンセミナー語る力が権力を作る?―歴史からの問い―
日時: | 2021年7月9日(金)17:30~19:30 |
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場所: | オンライン(Zoom) |
企画研究「行動する人の歴史」は、個人が次の一歩を踏み出す際に、先人がどうやって生き、変化に対応してきたのかを参考にできるよう、歴史を「動詞」から捉えるという全く新しい歴史の語りの構築を目指しています。「日本の歴史」ではなく、「○○する人の歴史」。使えそうな動詞はいくらでもありますが、歴史学が今まで得意としてきた権力論に関わるものから始めたいと思っています。
本セミナーでは「語る」という動詞に着目します。経済権力を「与える」人、軍事権力を「守る」あるいは「戦う」人、宗教権力を「癒す」人と呼ぶならば、「語る」人は政治権力でしょうか、それとも学術権力でしょうか。「戦う」人たちが何かを「守った」と言い張っても、「単なる略奪だよ」「侵略だよ」と言ってその価値を下げることが、「語る」人にはできます。人間である以上、誰しも「語る」ことはできますが、その「語る」力をどのように使うかについては、時代や地域によって多様な試みがなされてきました。
前半では、動詞から歴史を捉えるという試みについて、本企画研究の代表(松方)が説明します。後半では、企画研究参画教員の中から3名が、それぞれの専門によりながら、以下のように「語る」人々の歴史の一斑を窺います。
英語圏に比べ、日本語で「名演説」とされるものは余りありません。「演説」の造語者である福澤諭吉も、人々の記憶に残っているのは、やはり文章の方です。まずは、近代日本において「語る」ことはどのように試みられてきたのか、僅かながら振り返ってみたいと思います。一方、イギリス、とくに議会では、「語る」力は非常に重視されています。中でも有名なのは、第二次世界大戦中の首相チャーチルのスピーチです。戦局の思わしくなかった1940年、彼が議会での演説やラジオを通して国民の戦意を鼓舞したことについて考えてみたいと思います。さらに、多言語社会として知られるインドで、「語る」人々は言語や表現をめぐってどのような模索、選択を行ってきたのでしょうか。ここでは「インド独立の父」として知られるM・K・ガーンディーに焦点をあてながら、様々な「語り」のあり方を考えてみたいと思います。
主催: 東京大学ヒューマニティーズセンター