2016.07.18

日本研究をめぐる研究機関のネットワーク化

執筆者:園田茂人(東洋文化研究所&東京大学大学院情報学環・学際情報学府)

今年の3月19日、「第6回東アジア日本研究フォーラム」に参加した。会場は、天津の利順徳大飯店。1863年イギリス租界で開業した由緒あるホテルで、筆者も天津を最初に訪問した1984年11月に同ホテルを訪れる機会があったから、30数年ぶりのセンチメンタル・ジャーニーとなった。
  同フォーラムは徐一平(北京日本学研究センター)と李康民(漢陽大学校)の両氏が国際交流基金に働きかけ、毎年会場を変えながら、その時々のテーマやトピックを取り上げ、国際化時代にふさわしい日本研究のあり方を議論してきた。今回、第6回のフォーラムを実施するにあたって、「国際総合日本学」を掲げる私たちにも声がかかり、ノコノコと参加することになった。
  フォーラムでの意見交換は実に興味深いものだったが、ここでは2点、筆者が特に印象的だと思った論点を紹介したい。
  第一に、東アジア地域では日本を対象にした研究を束ねた研究機関や学会組織があるのに対して、日本国内では、これに対応した機関・学会が存在していないといった現実をどう考えるか。
  総じて、学問の発展は「統合」以上に「分化」という形態をとる。日本国内で「日本」を対象に研究している人は相当な数に達するが、彼らは方法論やテーマ、ディシプリンで別々の研究機関・学会組織を作っている。そもそも「日本」を研究対象としているからといって一つの学会組織を作らねばならないという動機は生じにくく、個々のテーマを深掘りすることに注力しやすい。
  これに対して、東アジアを含む海外の日本研究は、日本に関わるすべての研究領域をカバーできる状況になく、自然、各研究者がカバーする領域は日本国内における研究者に比べて広くなりやすい。また、地域研究の対象として「日本」を眺めようとする場合、どうしても「統合」的視点を強調することとなり、これが日本国内の研究者との齟齬を生み出す原因となっている。
  こうした日本研究をめぐる彼我の違いは、日本の研究機関と東アジアの研究機関の間の恒常的な連携を難しくさせている。テーマやトピック、アプローチ方法が異なれば、当然パートナーが異なることとなり、特定の研究機関・学会組織が恒常的に東アジアのパートナーと連携していくのはむずかしい。短期のプロジェクトを共同で進める以外、両者を結び付ける論理が見つけにくいのである。
  第二に、以上の論点とも関係するが、どうしても日本国内の「深く・狭い」研究が東アジアの研究に比べて優れたものと見なされやすく、東アジアの日本研究が劣位なものと見なされがちな現実をどう理解するか。
  フォーラムの複数の参加者から、日本に赴き日本語で研究を進める際に感じる「コンプレックス」が指摘されたが、「深く・狭い」日本研究が優位に置かれるとなれば、当然、日本語能力に優れた研究者が有利となる。また、そうした考え方が支配することになると、どうしても日本人による研究を外国の研究者が「学びに来る」という指導/被指導関係が前提とされることになり、平等なパートナーシップが生まれにくい。
  だからといって、海外の研究者が自国の言葉で研究成果を発信すれば事足りる、ということにはならないだろう。それぞれの研究成果に学び合うことが可能になって、初めて学問的な深みが増すというものだ。
  では、第一と第二の論点――というより難点――を克服するにはどうしたらよいか。筆者に妙案は思い付かないが、日本と海外の研究者・研究機関がもつ特長を活かしたネットワーク化を図る以外に道はないように思う。日本語ばかりか、英語やアジア言語を適宜混ぜつつ、地味な作業を続けることで、「化学反応」が起こるのを待つ。効率優先の現在にあって、こうした迂遠な方法があってもよいのではないか。そして多分、こうしたやり方は、英語のみで研究交流がなされているAssociation for Asian Studiesとは違う機能や目的を持つことになるのではないか。
  久しぶりの利順徳大飯店で、そんなことを思った。